2.共通の制約
では、作品の面白さを数値化するには、どうしたらいいのだろう?
その方法だが、実はもの凄く簡単なのである。
その方法こそ……
「受動態を使用せず」「アクションを具体的かつ簡潔に表し」
「××が○○をしている」シーン。とシーンを定義する。
たったこれだけで数値化に関しては、もう半分以上達成したといって良い。
それは何故か説明していこう。
この世にあるストーリを持った作品は、ジャンルを問わず
共通して『ある制約』を抱えている。
それが「複数のストーリーを同時に進行することができない」という制約である。
考えてみてほしい。
パルプフィクションのような『1つの映画に複数のストーリーが存在する』作品は、
世にいくらでもあるだろう。
だが、カットや場面を変えることなく『複数のストーリーが常に同時進行する』作品は、存在しない。
これは「人の意識では1つの事柄しか継続して認識できない」という
人間の能力的限界によるものであり。存在するとしたら次のようなケースに限定される。
・防犯カメラのように画面を分割し、違うストーリーを同時展開し続ける映画。
のような認識を放棄した前衛的作品。
通常の作品なら
・別々のストーリがクロスオーバーした。
・ネタバレした上でミステリーなどを見た。など
意識とは別に、記憶によって認識された一瞬のみ成立するのだ。
最も自然なストーリーのクロスオーバーも、必ず「前フリ」が必要で連発は不可能であり。
これらは、ほとんど誤差やイレギュラーと断定して差し支えないものといえる。
その為。一瞬のイレギュラーを除けば、
「××が○○をしている」シーン。とシーンを定義した時。
『○○の中には、必ず1つの行動か出来事しか入らず。
(イレギュラーを除き)その数は増やすことも減らすこともできない』
という原則が成り立つのだ。
「だから、どうした」と思うかもしれないが、これは大きな発見である。
というのも、これまで私達は、名作と駄作の間には
「軽自動車VSフェラーリ」ぐらい根本的な差があるかのように感じていた。
しかし、現実には上の原則が示すように
同じエンジンを積み、その上で戦って差が生まれているのである。
つまり、創作というのは、たとえ相手がハリウッドの巨大資本映画であろうと、
素手VSマフィアみたいな、なんでもありな殺し合いではなく。
リング上でグローブをはめて、タイマンで戦うボクシングのように
一定のルール持った、フェアで誰しもが勝つ見込みのある競技なのだ。
これで創作物には共通の制約があることが、お分かりいただけただろう。
だが、同じ階級のボクサーでも、そこには必ず優劣という物が存在する。
同様に、共通の制約を抱える作品ごとにも、個人差はあれ
『面白さ』という優劣が存在する。
では、その差は一体どこから生じるのだろうか?
それは魅力的な「キャラ」でもなければ
深いメッセージの込められた「ストーリー」でもなく。
その作品の持つ『ギミック構造』によって決まるのである。
3.ギミック理論へ続く
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